マナスル登頂報告書

MANASLU 8163m 2019,8,23~10,7

1、はじめに

 私は、今年の5月22日にエベレストに登頂し、次の日5月23日にローツェに連続登頂しました。 まだ登れると感じ、一年間に8000m峰3座に登頂をしてみたいと思い今回のチャレンジを計画しました。まだ、日本人女性が達成していないであろうチャレンジです。私は、51歳ですが頑張れば何でもチャレンジ出来る事や、達成出来る事をこの三年間で知りました。その事も皆様にお伝えしたいと思います。

 この計画を皆様に相談したところ、多くの方々から応援の言葉をいただきました。そして、資金不足で思案していることを打ち明けると、沢山の方々に募金の呼びかけをして下さり、協力して頂きました。そして、新聞記事にもしていただき、見知らぬ方々からも募金をいただきました。沢山の人の協力や寄付でチャレンジをさせていただく事ができました。このような、チャンスをいただいた事に心から感謝申し上げます。 どのような結果になるかわかりませんが精一杯チャレンジして来よう!マナスルの頂に必ず立って帰って来よう!と心に決め日本を出発しました。そして、皆様方の気持ちや、私に対する応援の言葉を心に秘めてパワーにして皆様方と一緒にチャレンジしてきました。そして無事に登頂する事が出来ました。ここに登頂に至る経緯を報告いたします。

寺院の門から見えるマナスル山頂

マナスルに決めた経緯

マナスルは、ネパールの山でヒマラヤ山脈に属します。標高8163mで世界8位の山です。山名はサンスクリット語で「精霊の山」を意味するManasaからつけられています。初登頂は1956年5月 9日に今西壽雄・ギャルツェン・ノルブら日本隊によって達成された日本人にゆかりのある山です。私は、最初マカルー8481m(世界5位の山)にチャレンジしようと考えていましたが、日本人にゆかりのあるマナスルに登ることに決めました。

2、日本を出発して

 今回は独りボッチの出発だと思っていたのに、仲間が関西国際空港に見送りに来てくれ、本当に嬉しかった。飛行機を韓国で乗り継ぎ、ネパールに向かった。定刻通りにネパールに到着。荷物もスムーズに出できたので外に出るとネパールのガイドのAshishさん夫婦が出迎えてくれた。ホテルに向かうタクシーの中で、マナスル遠征の現地でガイドたちが進めている状況などの経緯を聞いた。

8月24日 ネパールで購入しょうと考えていたゴーグルをタメルで買い、安全祈願と登頂祈願をする為にラマ僧侶の所に行ってご祈祷をしてもらった。明日から、カトマンズを出発する〝いよいよ始まるんだなぁー!〟と思いながら荷物を別のダッフルバックに詰め込みながら、色んな事を考えた。

 今回は、①メンバーが違う、②皆さんの寄付でのチャレンジ、③まだ日本人女性がしたことがないであろう一年間で、8000m峰3座に登頂というチャレンジで、今までとは全く違う遠征だ。不安も沢山ある。でも、いつも通り無理せず頑張ろう。そして、〝メンバー皆で楽しみながらマナスル遠征を送ろう〟と自分に言い聞かせた。そして、〝マナスルに絶対登頂しょう〟と心に決めた。

3、カトマンズを出発して

8月25日 カトマンズのホテルを7:00に出発してJeepでプリティービー・ラーズマールドとうい名の道路を200km走行し15:30ベシサハに到着する。途中ロッククライミングで有名なビマール・ナガワルでお昼を食べた。

8月26日 Jeepに乗り7:15出発。ジャガッタでお昼を食べ10:15チャムジェに到着。その先の道は数日前の大雨で土砂崩れがあり通行止めの為、タルからチャインゾまで40分程歩いた。そこから先は、再度Jeepに乗りダラパニを経て、チャーメに16:20到着する。チャーメは標高2670mと高いので、昨日とは違い少し寒かった。

8月27日 チャーメを出発し、暫くするとピサン・ピーク(6091m)が左側に見えた。聞いたことのある山だ!と思いながら眺めた。独立峰でとても綺麗な山だった。ここから先は、私の知らないネパールの景色が続いた。アンナプルナ2(7937m)、アンナプルナ4(7525m)、アンナプルナ3(7555m)、ツーロ・ファーリスト(6429m)、ツーロ・イースト(6429m)、ティーリーチョ(7135m)、ガンガプルナ(7455m)、などの山々が見え素晴らしい景色だった。そしてちょうど、蕎麦の花の咲く時期で一面にピンク色の蕎麦の花が咲き、空の青と雪山の白、蕎麦の花のピンク色のコントラストがとても素晴らしく気が付くと「ワーオ!」と声が出ていた。そして、フムデからマナンに行き13:20にナワルに到着した。

8月28日 ホテルから見える綺麗なピーク(4300m)までハイキングに行った。そこからも絶景を眺める事が出来た。

8月29日 一回目の高所順応でカン・ラ(5320m)に登った。途中、ブルーシープの群れが遥か彼方に見えた。カン・ラは今まで歩いたチョウ・ラともレンジョ・ラとも違い大きな岩は殆どなく砂利道をジグザグに登って行く峠だった。今回の体調はどんな感じ何だろうか?と思いながらスタートしたが歩くペースも呼吸状態もいつもと変わりなかったので少しホッとしたが、その後の疲れがなかなか取れない感じだった。カトマンズを出発してJeepで移動後歩く事もなく、いきなり4000m、5000mに連日登ったので疲れがとれなかったのだと思う。

8月30日 ダラパニまでJeepで戻り、明日からはマナスルに向かうルートに入る。ダラパニは、川のすぐ横にある素敵なホテルだった。久しぶりにシャワーを浴びてのんびり過ごした。その頃になると疲れがとれて、いつもの体調に戻っていた。

4、マナスルに向かう

8月31日 今日からは、マナスルに向かうルートに入る。ワクワクしながらスタートした。しかし、ネパールはこの時期雨季でお天気があまり良くない。昨夜の雨は止んでいるが霧の中からのスタートだった。7:45にダラパニを出発した。道は、ぬかるみ景色もあまり見えなかった。道の脇に咲く小さな花を見ながら進んだ。11:00にゴアに到着する。笑顔のとても素敵な女性が出迎えてくれた。ホテルの横には、とうもろこし畑が広がり心地よい風とのどかな風景の中でのんびり過ごした。

9月1日 霧がかかる中をスタートした。ゴアからヤッカルカまでの標高2500~3000mを移動する3時間程の歩きだ。途中、カッチャル(荷物を運ぶロバの群れ)に何回も出会った。マナスルBCには、まだヘリが飛んでいないので、荷物はこのルートでカッチャルが運ぶようだ。沢山のカッチャルに出逢う。

9月2日 今日もアップダウンをしながら森林の中を進む。途中、苔に日差しが当たり何とも言えない光景が目の前に広がった。そして、森林を抜けると視界が広がり、雪をまとったマナスルの頂きが見えた。ビックリした。思わず、手を合わせて登頂させて下さいと祈った。そして、1時間程歩くと11:20にビンタンに到着した。ビンタンは、遥か彼方まで見渡せる広い場所にカラルフなホテルが10軒程立ち並ぶ小さな村だった。ホテルの近くにある小さな湖を一周し散歩をした。そこからはビンタン氷河が見えた。

9月3日 ポンカーラ・タル(3965m)の湖に行きその後フェディーまで移動する予定だ。ビスターレ、ビスターレ(ゆっくり、ゆっくり)で歩いた。霧がかかり道中全く景色は見えない。1時間20分でポンカーラ・タルに到着するが視界は悪くどうにか湖面が見えるといった感じだった。湖を半周した後ビンタンに戻りランチを食べて早々にフェディーに向かった。2時間程でフェディーに到着する。明日歩くラリケ・ラ(5160m)の道が見えた。結構の急登だ。明日は、峠を超え今回で一番長いコースを歩くので、早々に晩御飯を済ませ就寝した。

9月4日 7:00にフェディーを出発する。出発して暫くすると、昨日見えていた道に入った。永遠と急登が続くが8000mはこんなもんではないと思いながら歩いた。そして、いつの間にかラリケ・ラ(5160m)に9:45に到着していた。峠で写真を撮り、リンゴを食べ30分程過ごしダラマサラに向かった。ここからは、見晴らしが良く木もない。草原ではヤクが草を食べている。途中、エメラルドブルーの綺麗な色の湖が見えた。何でこんな色なんだろうと思う位のエメラルドブルーだ。立ち止まり何回も写真を撮った。そして2時間半程歩くとダラマサラに到着する。そこで、ネパールのインスタントラーメンを食べサムドに向かった。時々、ガスがかかるが遥か彼方の景色は見る事ができた。15:00にサムドに到着した。これで、今回予定していた高所順応は無事終了した。やはり体調を気にしていたので少しホッとした。そして、三人でmomo(ネパールの餃子)を食べた。

9月5日 今日はサムドからサマまでの移動だ。サマは、マナスルBCの1つ前の村だ。やっとここまで来たのだと少し安心した。マナスルのルートに入ってからはWi-Fiが無かったので、このサマで久しぶりに日本のメンバーに体調が良い事や順調に経過している事を伝えた。

9月6日 サマからマナスルBCに入る。標高3520m~4400mの移動だ。いつもの様に良いお天気とは言えないが雨は降っていない。〝どうか雨が降りませんように〟と心の中で祈りながらスタートした。祈りが通じたのか途中からは青空が見え、振り返るとサマの村が見えた。そしてビレンダ・タル(湖)や迫力のある滝を眺めながら登って行った。マナスルBCまでは急な登りが延々と続く。途中一回休憩を取りジュースを飲み、その後はいつも通りマイペースで歩き13:10マナスルBCに到着した。

 マナスルBCは、エベレストBCとは少し違っていたがマナスルBCも広い。テントはあちら此方に点在しているがまだゲストは到着していない感じだ。

 今回の私のBCはマナスル・ノースの絶景が見えるビューポイントに設営してくれていた。テントもエベレストと同様の箱形のテントだ。ベッドは、エベレストより遥かにいい。遠征に来る度に、テントもBCも良くなっていると感じた。いつもの様に、荷物を出して整理整頓をした。すると、氷河が崩れる雪崩の音が度々聴こえてくる。直ぐ脇にはマナスル氷河がある。凄く近い為か?エベレストより迫力がある。その日、自分のテントでシュラフに入り朝まで爆睡した。

5、マナスルBCの生活

9月7日 起床時は、いつものように霧で周囲の景色は見えないが朝食を食べ終わる頃には綺麗にマナスル・ノースの姿が見えた。ネパールの天気はあっという間に変化する。BC生活1日目から素晴らしいマナスル・ノースの頂きが見えた事は幸先が良いと感じた。そしてマナスル・ノースを眺めながら今回のガイドのAnupさんにキャンプ1からキャンプ4までの場所とルートを教えてもらった。マナスルは、マナスル・ノースの後ろ側にあるので見る事は出来ない。最初、私はマナスル・ノースがマナスルだと勘違いしていた。そして、午後からは、エベレストの時にはゴーグルが曇って見えにくく大変困ったので、Anupさんが早々に酸素マスクの当て方とゴーグルの装着の仕方をチェックしてくれた。今回のAnupさんはインターナショナルガイドで、ゴーグルの曇りの経験が豊富だ。酸素マスクの装着の仕方や細かい事を教えてくれた。それと同今回は最新のゴーグルをネパールで購入した。どうかゴーグルが曇りませんように祈るばかりだ。

9月8日 高所用の装備のチェックをガイドと一緒にした。高所用登山靴、クランポン、ギア、ダウンスーツ、シュラフ、エアーマット、手袋や靴下などは種類や枚数までチェックしてくれた。他にもインナー、肌着、ゴアテックスのアウターとズボン、帽子、キャップ、ヘルメット、高所の食事、etc細かい事までチェックしてくれた。そして、私が気になっていたネパールのガイドの荷物。コンパクトだがいつも色んな物を持ってきている。インターナショナルガイドが高所に持参する装備を見せて欲しいと頼んだところ快く応じてくれたので見せて貰った。

 マナスルBCでは、結構若いネパールの女性が大きな荷物を背負って上がってくる。エベレストでは余りない光景だ。BCの標高がマナスルの方が低いからなのか?分からないが、でもこの辺りの女性は体力が強いのだと思う。

9月9日 「ミユキ、山が綺麗だよ」とコックのダンさんの声で目覚めた。テントから出てみると360度の絶景が広がっていた。曇ひとつない素晴らしい景色だった。空気も澄んでいるのか遥か彼方まで見えた。そして、雲海が広がりGanash II(7118m)、Ganash VI(6908m)、そして小さくランタンリルも見えた。朝日がゆっくりと上がってくる。最高の景色に何回もカメラのシャッターを押した。今日はPuja(祈り)の日だ。どうかこの天気が続きますようにと祈った。この日、BCでは朝からPujaが色んなテントで予定されていてラマ僧は忙しそうだ。私達は、13:15~14:40の間Pujaを行った。雨も降らず風もなく良かった。私は、真剣に何回も手を合わせ登頂祈願と安全祈願をした。

9月10日 Pujaも終わったので今日はキャンプ1(5300m)まで高所順応をする。7:00にBCをスタートし途中ハーネスとギアを装着、ロックを少し登り15分程歩いてクランポンを装着し、雪原がスタートする。跨いで通れる程度のクレバスが沢山あり注意しながら進んだ。その後、緩やかな登りが暫く続きキャンプ1直下にテントが5張りほど設営してあったがここはキャップ1ではない。急な坂を登りきり、キャンプ1に11:00に到着した。キャンプ1は快晴で風ひとつない。

下を眺めるとBCが綺麗に見えていた。テントが8張り設営してある程度で、紐でそれぞれのテント場をキープしている。キャンプ1はよく雪崩が起こるのでどんな場所にテントを張るのか?気になっていた。ガイドは、暫く氷河を観察してテント場を探し私達のテント場を決めた。キャンプ1は斜面にあるのでカッティングをして整地をした跡に私のテントを張りその横にスタッフのテント場をキープした。そして、デポの荷物を置いて12:30下山をスタートする。やはり、下山は早い。クランポンポイントまで休まずに下り、14:40にBCに到着した。まずは、キャップ1までクリアー出来たので何処かホッとした。キャップ1からキャップ2のルートをしっかり見る事が出来たので私の中でイメージが付いた。エベレストの時のローツェフェースのような場所があるなと感じた。

9月11日 今日は、レスト(休憩)の日だ。髪を洗い、洗濯をしてのんびりと過ごす事にした。午前中は、晴れ間もあったが午後からは、霧雨が降る天気でパットしない。このところ、ずっとこんなお天気が続いている。私のBCは見晴らしが良いので、時間が有るといつも色んな場所を眺めている。このマナスルBCは、中国の人達が多い様に感じる。日本の人もBCに入っていると思うのだが、私の横にいる日本人の男性しか会っていない。隣に日本人がいるので、久しぶりに日本語で色んな話が出来たので気が休まった。

風呂上がりです

9月12日 今日もお天気は悪く少し肌寒い。何もする事がないので、私達のBC内にロープを張り、アッセンダーの操作の仕方や下山時のセフティの仕方などを練習した。そして、ガイドに色んなノットやロープの使い方などを教わった。キャンプ1は雲に包まれているが、雪が降っているらしい。

6、二回目の高所順応 C1~C3

9月14日 BC→キャップ1

9月15日 キャップ1→キャップ2

9月16日 キャップ2→キャップ3→キャップ2

9月17日 キャップ2→BC

の予定だ。

キャンプ1

9月14日 いつもより早めに起き荷物を準備する。外はまだ暗かった。6:00にテントから出て見ると余り良いお天気とは言えなかったが雨や雪は降っていない。朝食を食べ、デポする荷物をガイドとシェルバに渡し、MILLETの高所用登山靴を履いて頑張ろうと心に決めた。ガイドは、私のザックを持ち上げて思っていたより重たかったので不思議そうな顔をしていたが10kgはない。高所では、酸素ボンベも持たなければいけないのでその為に慣れる事にした。10:00にBCを出発。順調にクランポンポイントまで到着する。その頃になると天気も回復して時々日も差していた。キャップ1まで前回歩いているので少しは楽に歩ける。14:00キャップ1に到着する。9月10日にキャップ1に来た時よりも遥かに多いテントが張ってあった。キャップ1から下を眺めるとBCは雲に包まれて見る事はできなかった。

9月15日 快晴の中からのスタートだ。もう沢山の人がスタートしていた。急登では、数珠繋ぎになっている人が見える。自分が登るルートをイメージしながら眺めた。8:45にキャップ1をスタートする。振り返ると雲海が広がり素晴らしい景色だった。ここからは、緩やかなルートもあるが急登が続く。マナスル・アイスホールなので、クレパスもあり小さな梯子もある。足元のルートや周りの景色を眺めながら〝楽しみながら登ろう〟と思った。エベレストで知り合ったシェルパが沢山マナスルにも入っている。片言の日本語で話し掛けてきてくれるので、レスト中も楽しく過ごす事が出来た。キャップ2に13:00に到着する。キャップ2はキャップ1より遥かに急な傾斜にテントを張らなければいけない。ガイド達は素早くカッティングを行い、整地をし、テントを張る。私は、夜間トイレに行く時に滑らないように注意しなければいけないなと思った。

9月16日 ガスに包まれて時々雪が舞っている。キャップ3での泊りの予定をやめて登る事に変更し、再度キャップ2で連泊する事にした。8:25にキャップ2をスタートする。全くと言って良い程周囲の景色は見えなかった。コース自体は、短いが急登が続く。10:25キャップ3に到着する。キャップ3にはテントは張っていない。到着し腰を下ろしゆっくり1時間を過ごした。少し風はあるが途中で日が差してきてキャンプ4が見え、ブルーアイスも見えた。キャンプ3まで登って来た人達も1時間程経過して下山して行く。私達も11:30に下山をスタートし、12:30にあっという間にキャンプ2に到着した。今日も、キャンプ2で泊まる。昨日、少し頭が痛かったので今日は水分を多めに取ろうと思いしっかりティーを飲んだ。

9月17日 昨夜はテントが半分程も埋まる雪が降った。甘いブラックティーを飲み荷物をまとめガイドはテント周囲を整え、次回来た時にテントが潰れていない様に張り直し8:45キャンプ2をスタートした。途中一ヶ所だけ懸垂をし、他はフィクスロープにセフティを取り歩いた。下山途中、悪天候の為か人には会う事はなく、レストもせず10:00にキャンプ1に到着する。天候はさらに悪化していく。キャンプ1のテントにデポする荷物を起き、再度雪で押し潰されないように整え、10:30にキャンプ1をスタートした。新雪を踏み締めながらの下山だ。時々、「キュ、キュ」と音がしクランポンもしっかり効き歩きやすい。そしてホワイトアウトのように全てが真っ白だった、私達三人以外は誰もいない。ネパールでこんな雪の中を歩くのは初めてだ。インターナショナルガイドがいるので全く怖くなかった。寒くもなく、心地いい。小さなクレパスを跨ぎながら〝もう此処まで降りて来たんだなぁー〟と思った。そして、クランポンポイントでクランポンを外し一息付いてBCに向かった。雪はシャーベット状になり滑り安く歩き憎い。転ばない様に注意しながらすすんだ。

シャルパのスージャンと私

 途中、15人程のグループとすれ違った。え!こんな時間に此処を歩いていてキャンプ1に何時に到着するのだろうか?と思った。天候は、なかり悪い。まだ、クランポンポイントにも到着していない。まー、人の事を心配するより自分の事を考え無くてはと思い直し集中して歩いた。13:30 BCに到着。朝からティーしか飲んでいないのでお腹がすいていた。コックが用意してくれたランチを頬張った。高所では、思っていたより食事がとれなかったので最高に美味しかった。それに、茶碗蒸しもあり感激した。体は、疲れていたが休む事は止めて隣の日本人の男性とBC内のWi-Fiが繋がる場所を探しながら少し歩いた。すると「日本人ですか?」と声を掛けてきた。日本人ドクターだった。「何かあったら言ってください。沢山薬も持って来ていますから」と話してくれた。この人のテントは私達の近くにある。こんな近くに日本人がいたのだ!と少しビックリした。その日の夜は、朝まで起きる事なく熟睡した。

9月18日 今日はレストの日だ。お天気は悪く雪が降っている。シャワーを浴びようと思っていたので残念だ。なので、昨日私のテントを探して訪れてくれた同じくマナスルを目指す友人のテントを訪れる事にした。彼女のメンバーは日本人が5人とスペイン人1人だった。久しぶりに知り合いに会ったからか、色んな事を話しても話題は尽きない。ランチもいただき気が付くと3時を回っていた。心配したのかシェルパが迎えに来てくれた。テントの中で話をしていたので雪が降り続いている事が全くわからなかった。傘を持って来てくれていたので傘をさして自分のテント帰った。夕方には、BCで友達になったタイ人がテントに訪れて来てくれた。この人もドクターだ。今回は沢山のドクターと会う。

9月19日 昨日から雪が降り続き、夜も深々と雪が降っていた。テントから出て見ると20cm以上の雪が積もっていた。一面真っ白だ。いつも以上に雪崩の音がする。こんなお天気なので、高所順応をしにキャンプ1に向かうグループもいない。キャンプ1では、どうなっているのだろうかと思ってしまう。

 

BCでは雪でテントが埋まりました

 天気予報では21日から天気が回復する予定だったので、私たちは22日からBC を出発し、サミットする予定をたてた。それに備えて靴下を洗濯する。こんなお天気なのでダイニングテントにヒーターを入れて乾かした。贅沢な話だ。

9月20日 今までの天気が嘘の様に素晴らしい天気だった。でも、ここのところずっと雪が降っていたので雪崩の恐れもあり、キャンプ1に向かうグループは見当たらない。今日はレスト3日目だ。朝食後、ゆっくりとシャワーを浴び最高に気持ち良かった。久しぶりのシャワーだったので、日本で温泉に入ったあとのようは気分になり、心も体もリフレッシュできた。

テントで絵葉書を書いてます

9月21日 少し寒く午後から雪がチラホラ舞う天気だった。悪天候が続いているのでキャンプ3から上のフィックスロープはまだ張られていない。エベレストとよく似たパターンだ。天気が回復しないのでフィックスロープを張る作業ができず、マナスルにアタック出来ない。早く出来ればいいと願うばかりだ。私達は、天候の回復を待ってアタックチャンスを待っている。今日はする事もないので日本の皆さんに送るハガキを必死になって書いた。

9月22日 昨夜からシンシンと雪が降っていた。朝テントから出てみると案の定の雪景色だった。しかもまだ雪は降っている。本当だったら、今日からBCをスタートする予定だったが今日もキャンセルだ。昨日に引き続き今日も日本のお友達に送るハガキを書く事にする。

7、マナスル頂上に向けてスタート

9/23    キャンプ1       5260m

9/24    キャンプ2       5600m

9/25    キャンプ3       6800m

9/26    キャンプ4       7450m

9/27    Summit→キャンプ2

9/28    キャンプ→BC

9月23日 今日からマナスル頂上に向けてスタートだ。エベレスト程ではないが高所順応をした時より人は多い。10:00にBCをスタートした。この道を歩くのはこれで三回目だ。やはり、一番楽に歩けた。14:00にキャンプ1に到着。

スタート準備 キャンプ1のテント内

9月24日 テントから出て見ると素晴らしい天気だ。高所順応で上がった時もキャンプ1はいつも快晴で最高の景色を見る事が出来る。8:36キャンプ1をスタートする。昨夜も雪が降っていたので新雪を踏み締めながらのスタートだ。1時間でアッセンダーを使わなければいけない急登の所まで到着する。難なくクリアーしその後も、急登が続くが高所順応が出来ているのか順調に進む。12:30 キャンプ2に到着。テントとの中に入りゆっくりする頃には雪が降り初めていた。

9月25日 キャンプ2を8:45にスタート。このコースは一回高所順応で登っているのでわかっている。11:10キャンプ3に到着する。コースは短いが結構の急登だった。梯子もある。梯子はバランスが重要なのでバランス!バランス!と自分に言いながら進んで行った。テントの中で少し休憩を取り外に出てみるとキャンプ4に向かっている人達が遥かかなたにみえた。下から眺めていると、みんな全く進んでいないように見えた。それだけ急なのだろう!と思いながらしばらく見ていた。キャンプ3も結構な斜面にテントが設営してあるためカッティングをしっかり作ってテントを設営してある。クランポンを着けていないと危険だ。段々畑のようにテントが設営してあり、下を眺めると知り合いのテントがある。お互い動く事ができないので手を振りあって挨拶をした。

9月26日 今日は、キャンプ3からキャンプ4までだ。ここから上は、今回初めて歩く。昨日キャンプ3からルートをみて少しイメージはついている。先行のパーティーを見ていると歩く速度が遥かに遅い。酸素マスクを使用している人も多い。「さあ!始まるぞ!」と自分に言い聞かせに8:30にスタートした。酸素は使わずいつもの様に息をはきながら歩いた。キャンプ4迄のルートは昨日のルートより遥かに長い。そして、急だ。それと同時に標高も高くなる。みんなのペースも遥かに遅い。最初は、キャンプ4までは酸素を使わずに登ろうと思っていた。エベレストの時は、キャンプ3(標高7400m)まで酸素なしでもどうもなかったからだ。標高もエベレストの時の方が高い。マナスルは、雪がありエベレストとはまた違う。急登の雪道は、結構疲れる。ここで疲れてしまうとSummitがしんどくなるのでは?と考え半分くらいから酸素1.0で使用する事にした。酸素を使用すると楽だ。5:00キャンプ4に到着する。到着するなりガイドは休憩もせず整地をしてテントを設営した。そして、晩ご飯を食べて早々に休んだ。

8、マナスルの頂上に立つ

9月27日 0:00頃からテント周囲はワイワイしている。それは、キャンプ3から沢山の人が上がって来ていたからだ。キャンプ4で泊まらずキャンプ3から直接アタックするチームも沢山いた。私は、昨夜は酸素を0.5で使用しながら寝たので爆睡し疲れは全くない。服装を整え酸素マスクと新調したゴーグルを装着し2:30に出発した。風は余りない。エベレストとは違い全くゴーグルも曇らない。新しく購入したゴーグルがいいのか?酸素マスクの装着がいいのか?まー、私にとっては、いずれにせよゴーグルが曇らなくて良かった。ヘッドランプの灯りが一列に並んでいる。遠くにあったヘッドランプの灯りが近くになり追い越しながら進んで行く。エベレストのように人は並んでいない。ガイドは時々足を止める。私達を丁度いいタイミングで登頂させてあげようと思っているのだろう。さほど疲れる事もなく山頂に着き、素晴らしい朝日を見る事ができた。

 私は、7:20に山頂に到着するといつも同じ様に手を合わせた。そして、「はんちゃんありがとう」と心の中で言った。マナスルの頂上は凄く狭い。私達はそこに立ち写真をとった。そして、山頂近くで景色を楽しみ、8:00から下山をスタートした。風もなく、お天気も最高でキャンプ4まで景色を楽しみながら歩いた。遥か彼方に雲海の上に飛び出ているアンナプルナの頂きが見えた。私達以外誰もいない雪原でこの景色を眺めている。ここに来る事が出来ないと見ることができない景色だ。何と贅沢な時間を過ごしているのだろう。と感じた。

ガイドのアヌプさんと私

 9:30キャンプ4に到着し、テントを撤収して11:00にキャンプ2に向けて出発した。キャンプ4からキャンプ3は急な下りが続く。登る時からここを下るのは大変だろうな!と思っていたが何事もなく、順調に下る事ができた。キャンプ3でもう一人のシェルパを待つ間1時間レストした、そしてキャンプ2に向かった。15:00キャンプ2に到着する。

 9:30キャンプ4に到着し、テントを撤収して11:00にキャンプ2に向けて出発した。キャンプ4からキャンプ3は急な下りが続く。登る時からここを下るのは大変だろうな!と思っていたが何事もなく、順調に下る事ができた。キャンプ3でもう一人のシェルパを待つ間1時間レストした、そしてキャンプ2に向かった。15:00キャンプ2に到着する。

右上がマナスル山頂。朝日を背に下山開始

9月28日  9:00にキャンプ2を出発し途中キャンプ1にデポしてある荷物を取りBCに戻る。出発の時は、雪が降っていた。下山する人も余りいない。時々、雪崩もあるため早足で歩いた。11:00にキャンプ1に到着。キャンプ1では片付けをしているチームも沢山いた。私達は、30分かけて荷物をまとめ11:30にBCに向けて再スタートした。シェルパ達は、凄い荷物を背負い私達を追い越していく。私は、これでマナスルは終わりなんだなと思う寂しい気持ちと登頂出来て良かったと思う気持ちと色んな事を考えながら歩いた。クランポン・ポイントにはキッチンボーイが、私達が疲れているだろうとジュースや果物、おにぎりなど沢山の食べ物を持参してくれていた。それを食べて少しレストをしてからBCに向かった。

 13:30にBCに到着。メンバー三人で「ありがとう」と言いあいながら抱き合って喜んだ。その夜は登頂パーティーをして大いに盛り上がり楽しかった。

 

9月29日 昨夜は久しぶりのBCのベッドで爆睡した。そして、モーニングティーを持って来てくれたキッチンボーイの声で7時過ぎに目覚めた。テントの中が明るいので快晴かと思い外に出てみるがやはり曇り空だった。急遽、サマまで下山する事になり、朝食を食べて荷物をまとめ12:30にBCをスタートしサマに向かった。BCを出発する時には雪が降っていたので傘を差しながら歩いた。

 一回もレストする事なく15:30にサマに到着した。途中道はヌカルミ、靴もズボンも泥だらけだ。女性のポーターが凄い荷物を背負い、甲高い声で楽しそうに話ながら下山して行く。登山靴ではなく、長靴で重たい荷物を背負い下山して行くのだ。エベレストでは見なかった恐るべきマナスルの女性ポーターだ。

9月30日  朝一番のヘリコプターでカトマンズに向かう為、私達は6:30にヘリポートに行った。何人かのグループも待っていた。やはりネパールだ。ヘリは飛んで来ない。今までの山でもヘリが飛んで来ない事は沢山あるので、気長に待つ事にした。沢山の人が居るこのヘリポートには日本人男性2人と女性2人がいた。エベレストでは、なかなか日本人には会わなかったがマナスルではBCでも、歩いていると日本人に何回か会った。やはり、日本人にゆかりのある山だからだろう。

 11:00にやっと私達のヘリが飛んで来た。〝あー、これでカトマンズに帰れる!〟少しホッとした。カトマンズまでの飛行時間は38分だった。雲が多いので、谷に添っての飛行だ。途中断崖にある村を眺めながら進んだ。こんな所に住んでいる人は大変だろうなぁーと思いながら眺めた。カトマンズの上空は、カラフルな民家がひしめき合いながら建っていておもちゃの町みたいでとても可愛い。私は、空から眺めるカトマンズの町は好きだ。

 ヘリから降りるとカトマンズはサマと違い凄く暑かった。〝あー、カトマンズに帰って来たのだ!〟と実感した。〝あー、マナスル遠征は終わった〟。登頂出来て良かったと思う自分と、凄く寂しく感じる自分がいた。

9、カトマンズに戻り

 カトマンズでメンバー(シェルパ、コック、キッチンボーイ)を待つ間、マナスル遠征で撮った写真や動画をまとめて資料を作る事にした。3日間掛けてどうにか作成する事が出来た。そして、残りの時間はタメルでお土産を買ったり、ゆっくりとネパールを満喫する事ができた。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。10月8日はネパールの大きなお祭りダサイン(DHASHIN)の日だ。家族や親族の絆を深める為に人々は村に帰り祝うようだ。その為か道路は前日から車やバイクも少なくなり、いつもの混雑はなかった。ダサインは私でも聞いた事の有るお祭りだ。ヒンズー教の大きなお祭りの様だ。ガイドの奥さんがダサインの為にサリーを準備しているのをみて着せて貰う事にした。一回サリーを着てみたかったので凄く嬉しかった。そして、ティカ(額につける赤い粉)を付けてもらい完成した。サリーはとても長い布を腰から肩に上手に体に巻き付けていくと素敵な衣装になる。本当に ビックリする。ネパール出国の日に素晴らしい記念ができて感激した。 そして、10月7日19:40の飛行機でネパールを出国し10月8日 日本に帰国した。47日間の素晴らしい マナスル遠征は終了した。

10、行動表

行動

行動時間

8

23

関西空港からネパールに到着

 

8

24

カトマンズで装備を揃え登頂祈願をする

 

8

25

カトマンズからJEEPでベシサハに移動

8時間30分

8

26

ベシサハからJEEPと歩きでチャーメに移動

9時間20分

8

27

チャーメからJEEPでナワルに移動

5時間

8

28

ナワルで4300m高所順応

5時間

8

29

カン・ラ5320m高所順応

8時間30分

8

30

ナワルからダラパニにJEEPで移動

3時間30分

8

31

ダラパニからゴアに移動

3時間15分

9

1

ゴアからヤッカルカに移動

3時間

9

2

ヤッカルカからビンタンに移動

3時間

9

3

ビンタンでポンカーラ・タルに行きフェディーに移動

6時間

9

4

フェディーからラリケ・ラ(5160m)を超えサムドに移動

7時間

9

5

サムドからサマに移動

2時間20分

9

6

サマからマナスルBCに移動

5時間30分

9

7

マナスルBC

 

9

8

マナスルBC 5000mまで散歩

 

9

9

マナスルBC

 

9

10

BC→キャンプ1 (5260m)→BC

4時間

9

11

マナスルBC レスト

 

9

12

マナスルBC レスト

 

9

13

マナスルBC レスト

 

9

14

BC→キャンプ1

4時間

9

15

キャンプ1→キャンプ2

4時間15分

9

16

キャンプ2→キャンプ3→キャンプ2

3時間

9

17

キャンプ2→キャンプ1→BC

4時間15分

9

18

マナスルBC レスト

 

9

19

マナスルBC レスト

 

9

20

マナスルBC レスト

 

9

21

マナスルBC レスト

 

9

22

マナスルBC レスト

 

9

23

マナスルBC→キャンプ1 (5260m)

4時間

9

24

キャンプ1→キャンプ2 (5600m)

4時間

9

25

キャンプ2→キャンプ3 (6800m)

2時間25分

9

26

キャンプ3→キャンプ4 (7450m)

8時間30分

9

27

キャンプ4 (2:30発)→マナスル登頂 (7:20山頂着)→

下山開始(8:00)→キャンプ4 (9:40着~11:00発)→

キャンプ3 (13:00着~14:00発)→キャンプ2 (15:00着)

12時間30分

9

28

キャンプ2→BC

4時間30分

9

29

マナスルBC →サマ

3時間

9

30

サマ→カトマンズ

 

10

1

カトマンズ

 

10

2

カトマンズ

 

10

3

カトマンズ

 

10

4

カトマンズ

 

10

5

カトマンズ

 

10

6

カトマンズ

 

10

7

ネパールを出国

 

10

8

関西国際空港に到着

 

11、酸素使用

キャンプ3の途中から1.0で使用するが、登攀以外は使用せずキャンプ4で、入眠時のみ0.5で使用。

キャンプ4からSummitまでは、1.0でスタートし途中1.5にアップしその後は増量せず。

下山は、1.0でスタート

キャンプ3の途中(登りで酸素を使用した所で酸素をオフ)で酸素は中止。

マナスルの酸素ボンベ使用量は、1本弱だった。

12、メンバー紹介

クライミングガイド

氏名 Anup Gurung(アヌプ)

年齢 30歳     

英語が堪能

  • 2008年 ポーターガイドとしてスタート
  • 2018年 インターナショナル.マウンテンガイドの資格を収得。
  • ガイド以外にも外国人の遺体の回収などのレスキューにも数多く参加している。
  • 登山学校の講師としても沢山の生徒の指導にあたっている。経験豊富なガイドだ。

将来の目標

  • 今後は、指導者としてもネパールの登山の向上に務めていきたいそうだ。
  • そして、海外の山にも登り沢山の人のガイドをしたいそうです。

 

シェルパ

氏名 Sujan Gurung(スージャン)

年齢 22歳

英語は堪能で日本語も少し話せるが、現在勉強中

  • 2017年 トレッキングガイドとしてスタート
  • 2018年 ロッククライミング トレーニングにも参加
  • 2019年 NMAベーシック トレーニングに参加
  • 今後は日本語をしっかり勉強し、インターナショナルガイド資格を取得を目指す

13、マナスル遠征を終えて

沢山の不安を抱えての出発でした。

  1. エベレスト、ローツェの遠征から3ヵ月以内のチャレンジだったので体力は回復しているだろうか? 大丈夫だろうか?
  2. いつもと違うガイドなので、大丈夫だろうか?
  3. ガイドは日本語が話せないので、英語で意思の疎通はできるだろうか?
  4. この3ヶ月は、多忙でいつものようなトレーニングが出来ていなかったので、大丈夫だろうか?
  5. 今回は、皆様に協力していただき、寄付やカンパでの遠征なのでプレッシャーに押し潰されないだろうか?

しかし、●登頂できると言う自信と、●チャレンジしたいと思う気持ちで、マナスル遠征を計画した最初の気持ちを思い出して、みなさんの寄付を無駄にしないように遠征をめいっぱい楽しもうと飛行機の中で心に決め、悪いイメージは考えない様にしました。

遠征がスタートするとそんな不安は何処にいったのやら。大好きなネパールの山の生活は毎日があっという間に過ぎていきました。ネパールは雨季なので雨や雪が良く降り、お天気は安定しませんでした。今年は特に雪が多かった様です。新雪を踏み締めながら歩くと、日本の雪山を歩いている感じさえしました。マナスルは、エベレストと違い山頂までのアプローチが短く、無酸素でチャレンジしている人も居ました。一方で、今回の遠征中にもマナスルで二人の方がお亡くなりになられました。山では、何が起こるかわかりません。気を引き締めて集中して登る事も大切です。高所登山で大切な事は体力とメンタルだと思います。体力も、メンタルも自分でトレーニングすれば身に付くものです。いかにその山に登りたいのか。その情熱を叶えるためには自分の弱い部分をトレーニングするしかありません。

私が此処までこられたのは、自分に体力が無い事を知っていたので必死になってトレーニングをした結果だと思います。私は、甲山労山の先輩方に相談し一緒にトレーニングをしていただきました。自分の実力を知り、足らない部分をトレーニングで補い、それ以上の体力を養う為に自己流で考えてトレーニングをしました。体力は、精神(メンタル)も強くします。出来る、登れる、と言う自信がメンタルをも強くするのです。柔軟な精神は大切な事です。謙虚な気持ちを忘れず人の意見も聞き入れ、トレーニングする事が大切だと思います。

この三年間で経験した事を大切にして、高所登山にチャレンジしたいと考えている人のお役に立てるように、これからも努力して行きたいと思います。そして、まだ私には次の目標が有るので、それに向かって努力して行きたいと思っています。どうぞご指導ヨロシクお願いいたします。

14、皆様に感謝申し上げます

 今回のマナスル遠征は、今までとは全く違う遠征でした。エベレスト、ローツェの連続登頂を終えて次の目標の一年間に8000m峰、3座に登頂する為のチャレンジの遠征でした。沢山の方々に協力していただき資金集めからスタートしました。3ヶ月以内に資金を集めマナスル8163mに登頂する為に私は必死で頑張りました。沢山の人の協力で新聞にも載せていただき寄付を募り、ラジオにも出させていただきました。初めてのスポンサー探しもしました。兵庫県勤労者山岳連盟と甲山勤労者山岳会の方々には言葉では言い表せない程の協力をしていただきました。

 私が、マナスル遠征をする事が出来たのは皆様方のお陰です。心から感謝申し上げます。

 この大きなチャレンジはいつも言っているように2017年からの三年間の積み重ねが、一年間にエベレスト・ローツェ・マナスルの3座登頂に繋がったのだと思います。日本でもネパールでも素晴らしいメンバーと出逢えて助けていただいたから登頂できたのだと思いす。

 マナスル遠征では、人との関わりや繋がりの大切さや、ありがたさを染々と感じました。そして、沢山の事を学びました。駄目な私に色んな事を毎回、山の神様は教えてくれます。この後も今まで以上に努力をして色んな山にチャレンジし、人間としても成長出来るように頑張って行きたいと思います。

 私の勝手なチャレンジの為に山の仲間の皆様、職場の皆様を巻き込み沢山の方々にご迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思っています。皆様の協力で沢山の寄付をいただき素晴らしいマナスル遠征を終える事ができました。深く深く感謝申し上げます。

この度の遠征では、多くの方々からご寄付を頂戴しました。その中の連絡先がわからない皆様にはお礼を申し上げることができませんでした。 この報告書の紙面からお礼を申し上げます。 ありがとうございました。
山本美雪